参道より境内正面を眺める
山門
最初の山門は文化年間(1804〜1818)に煤孫の武田忠兵
衛氏より寄進され、大正8年(1919)和賀仙人鉱山主、
代議士の広瀬為久氏によって再建されました。
昭和8年(1933)の大風の時、燈籠木と称された樹令360
数年にもなる大杉が倒れ山門、鐘楼を一部破壊。修理。
昭和52年6月、永平寺勅使門の様式を汲む総欅造りの
本格的総門落成。
参道内の古石仏と大地蔵
■壁翁道換大和尚が再興開山
梵鐘
主(あるじ)なき
鐘楼堂や蝉しぐれ
孝学和尚
文化3年(1806)、当時十三世蔵海連珠大和尚の発願により、
南部藩士煤孫重石ヱ門が功徳主、江戸の名鋳工工藤国信
によって鋳造された。しかし昭和17年戦争のため供出
されました。二代目の梵鐘は昭和38年当時総代小田島
万吉氏が功徳主、京都で製作された。
昭和51年NHK除夜の鐘で全国に放送されました。